ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞という出来事でわきたっている昨今、大衆文化のひとつが文学的権威によってついにみとめられたのだというようなことが、肯定的にであれ否定的にであれ (反権威を標榜しがちであった過去のロック文化にそまっていたがゆえに、ある世代には素直によろこべない出来事であるでしょう) 、さまざまな場所で語られているのですけれども、実際のところ、ディランやロックの歌詞が文学研究においてどのようにあつかわれてきたか、という問題はディランの受賞の意義を語るほとんどの人びとにおいてけぼりにされているように思われます。ロックの歌詞についての厳密な研究は、たしかに、すくないかもしれませんが、しかし、この記事で冒頭から数ページ分を訳出した、 "Well, this rock and roll has got to stop. Junior's head is hard as a rock." (1976) というながたらしい題名をもつ Arnold Zwicky の論文は、そこでなされた不完全脚韻の精密な定義ゆえに、ロックの歌詞の分析を目的としているにもかかわらず、詩を音韻論の観点から分析する多数の文献で参照されていて、詩学という分野では重要なものとして知られています。ロックの歌詞という大衆文化の産物と真剣にとっくみあうことをとおして、アカデミックな詩学や言語学がより精密な方向へと発展したという事実の証拠がこの論文であり、この事実はひろくいきわたることが望ましい、と私は思っています (学問の厳密さは純粋な理論上の展開から生まれる、ときとしていたずらに難解なものであるだけではなくて、日常にねざした文化を真剣に相手にしたときにも要請されることがありえます) 。そして、大衆文化が詩学のような文学理論を触発し、その姿をおおいに変えるというのは、文学にくわしい者にとっては常識の範囲内であるでしょうけれど、歴史上ではまれなことではありません。民間に流通するおとぎ話のようなものや歌におもしろい言語の用法や物語の着想を見て、これを作品になり理論になりとりいれるということによって、いちじるしい変化が文学に発生したというようなことはけしてめずらしい話ではありません (たとえば、ホフマンやホーソーンのような怪異譚を素材にする作家を思いうかべるとよいでしょうし、現代の日本にも、あるいは、現代のドイツにも、と言ってもよいわけですけれども、日本語とドイツ語で著述をおこなう多和田葉子というこの系譜の末端に位置するすぐれた作家がいます) 。ディランの音楽には、まだ録音文化が充分に発達していなかったころにアメリカの民衆の音楽を根気強く採集してきたローマックス親子の偉業を土台にしているところがありますし、類似する例はロックにかぎらず文学においても見つけることができます。

この論文は、率直に言って、音声学や音韻論に一度もふれたことなのない人びとにとっては理解することがむずかしいものです (英語学習を趣味にする人びとのあいだでは発音の習熟のために音声学の基礎を直接あるいは間接に学んでいる人間はすくなくありませんし、彼らのような者であれば、ある程度の理解は見こまれるでしょう) 。論文の第一節は古い類型論の観点からロックの歌詞を分析するもので、例としてあげられている歌詞と辞書にある単語の発音記号とを参照しながら読めば、さほどむずかしくはありませんが、しかし、第二節から著者は現代の言語学では主流の生成言語学の音韻論を参照していますので、難度が飛躍的にあがっています。ロックの歌詞でよくあらわれる不完全脚韻を分析し、その特徴をあきらかにするには、類型論では不足があるので、弁別的素性、あるいは、たんに、素性 [feature] とよばれる生成言語学の概念を Zwicky は必要とするのです。

素性は物理学で言うところの原子に相当し、音韻論や意味論など言語学の分野ごとで言語の最小単位となるものです (音韻論上の素性は音韻素性 [phonological feature] ともよばれます) 。音韻論上の素性は分節音よりもちいさい単位です。類型論は分節音を最小単位として、単語のどの箇所が押韻しているのか、としらべるものですから、素性を最小単位とする現代の音韻論よりもおおざっぱな押韻の分析にいきついてしまいます。素性を音声学や音韻論の最小単位とする生成言語学の観点から見ると、たとえば、p-t や p-s という子音のペアがどこまで類似しているか、ということを非常にこまかくしらべることができます。素性に関しては、ここではくわしく説明しませんけれども、つぎのページに素性の分類表が掲載されていますので、この概念の大枠をつかむぐらいの気持ちで一読してみるとよいでしょう。

言語学の基礎
http://culture.cc.hirosaki-u.ac.jp/english/utsumi/linguistics/lingusitics_c3_ja.html

詩学について何の知識もない読者にはすこし難解であろう押韻に関する記法が論文にはふくまれていますので、ひとつ例をあげて、説明します。以下に引用する詩の一部は、ボブ・ディランとおなじく不完全脚韻の名手にしてノーベル文学賞受賞者でもある詩人、ウィリアム・バトラー・イェイツの "Byzantium" の第一詩節です (「詩節」は詩についての研究文献では、英語のまま、「スタンザ stanza 」とよばれがちです) 。イェイツは、英国のポピュラー・ミュージックを好む人びとには、 The Smiths の "Cemetary Gates" でその名があがる詩人のひとりとして知られているかもしれません。引用された詩の行末の押韻部、すなわち、脚韻部、となる単語には、 Zwicky の論文と同様に、強調のために下線をくわえてあります。


The unpurged images of day recede;
The Emperor's drunken soldiery are abed;
Night resonance recedes, night-walkers' song
After great cathedral gong;
A starlit or a moonlit dome disdains
All that man is,
All mere complexities,
The fury and the mire of human veins.


この詩節を構成する八つの詩行において、一行目と二行目の行末の単語は韻をふんでいますから、その二つの押韻部を "a" と、未決定の部分を "*" と記すと、 "aa******" というように計八文字の文字列というかたちで脚韻のパターンを記述することができます。この要領で押韻している単語のペアにアルファベット順で "a" につづく文字を割りあてていくと、この詩節の脚韻のパターンは "aabbcddc" となります。この記法を、Zwicky は、論文の第二節の最後でディラン・トマスの "Fern Hill" を分析するにあたって、つかっています。


参考文献
岡崎正男 『英語の構造からみる英詩のすがた 文法・リズム・押韻』 開拓社
菅原真理子編 『朝倉日英対照言語学シリーズ 3 音韻論』 朝倉書店



Well, this rock and roll has got to stop.
Junior's head is hard as a rock.



1. 不完全脚韻



よくしたしまれている英語の詩歌では完全脚韻が標準的なものであるけれど、大衆的な詩歌 (一部の近代詩) では不完全脚韻がつかわれることもよくあるものだ。₁ 完全脚韻の場合、ペアになる単語の強勢がおかれる母音はおなじであるし、その母音につづく子音や弱勢の音節もおなじとなっている。 stypie と、 stickpick と、stickypicky と、sticknesspickiness と韻をふむ。従来の類型論にしたがうと、不完全脚韻は以下の四つのうちのひとつ (かそれ以上) の点で完全脚韻の法則からずれる。

a. 対応する母音の片方 (または両方) に強勢がおかれていない。たとえば、 kisstenderness が韻をふむとき (スプリングスティーン, "She's the One") 、または scenerytapestry (サイモン, "A Hazy Shade of Winter") 。これは軽度脚韻 [light rhyme] 、あるいは副次脚韻とよぶものであり、マリアン・ムーアが非常にうまくつかっている。

b. 強勢のある音節は一致しているが、他方、それに続く強勢のない音節はそうなっていない。ペアになっている一方の単語にもう一方の単語にはない余分な音節が、通常、ある。たとえば faceplaces で韻がふまれるとき (ハリスン&スターキー, "Photograph") 、または endoffended (ハリスン, "Run of the Mill") 。これは語尾音省略脚韻 [apocopated rhyme] であり、アーチボルト・マクリーシュがよくつかうものだ。

c. 強勢がおかれた母音は一致していない、ただし、母音に続く子音は一致する。たとえば、 offenough と韻をふむとき (ディラン, "It's Alright Ma [I'm Only Bleeding]") 、または stopup と韻をふむとき (ディラン, "I Shall Be Free") 。このような子音韻 [consonance] は、とりわけ、エミリー・ディキンソンの詩でもっともめだってあらわれている。

d. 強勢がおかれた母音は一致するが、他方、母音につづく子音は一致しない。たとえば winetimes と韻をふむとき (トーピン, "Elderberry Wine") 、または sleepin'dreamin' と韻をふむとき (ディラン, "Mr. Tambourine Man") 。これは母音韻 [assonance] であり、ジェラード・マンリー・ホプキンズやウィルフレッド・オーウェン、ディラン・トマス、その他もろもろの詩人の作品でもめだつ。

以上の四つの型の脚韻の制約条件の緩和は伝統的なイギリスの伝承詩やわらべ唄、ブルーズの歌詞、大衆的な韻文がとめどなく湧きでる巨大な水源地であるロック・ミュージックの歌詞において発生する。しかしながら、四つの型はひとしく普及しているというわけではなく、母音韻がこの四つのうちでもっとも頻繁につかわれる詩的表現の技術なのである。ロックの歌詞中の数千行を調査した際に、つきあたった軽度脚韻と語尾音省略脚韻の例の数は一ダースをしたまわっており、子音韻の例は百である。しかしながら、母音韻の事例は六百あった。₂



2. 母音韻とロック脚韻



ロックの歌詞であつかわれている母音韻は大量、子音韻はまずまずの量、のこりの脚韻の型はおまけである、と言えば、誤解をまねくことになるだろう。と言うのも、英語の自由詩やマザーグースにおける不完全脚韻についての文書で、大衆的な韻文表現で母音韻とペアになる子音は、通常、ただひとつの弁別的素性 [distinctive feature] という点でちがっていることを (、それゆえに、弁別的素性に応じた心理的実在があるという主張の裏づけをおこないながら、) マーが指摘していたからだ [Maher 1969] 。マーが提示する例では、m が n と韻をふむ例が五つ、 p が k と韻をふむものがふたつ、 b-d と d-g 、 š-č というペアの脚韻がそれぞれひとつとなっている。ことばを変えれば、すくなくとも数種類の大衆的な韻文では母音と子音との一致という制約条件があきらめられているわけではなくて、よって子音韻と母音韻がその多様なかたちすべてを見せてくれている、と言ってもよいが、しかし、こうした大衆的な韻文にこそむしろ、脚韻の制約条件がゆるめられることによって、完全脚韻よりおおざっぱであるとは言え、そこには依然として複雑かつ興味をそそるような脚韻の範型があるとも言える──この脚韻の範型から言語のうちの「音韻論がかかわる領域」についていくつかの洞察をわれわれは獲得することができるかもしれない。

詩学の諸項目からなる三つの辞典 [Deutsch 1962; Thrall, Hibbard, and Holman 1960; Untermeyer 1969] にある母音韻の例文をざっと見わたしてみると、大衆的な韻文では、子音の一致を必要とする制約条件が放棄されているのではなく、ただひとつの素性がちがっていることを許容する程度までゆるめられているだけだ、という説が裏づけられることになる。大衆的な韻文の資料から示される十三例のうち、₃ 十一例には単一の素性のちがいとして考えても妥当らしく思われるものがふくまれている ( m-n の場合が三つ、p-t と t-k がそれぞれ二ずつ、そして b-d と n-ŋ 、 n-d 、 t-d がそれぞれ一ずつ) 。 一例をあげると、 man-hand では脚韻部中の最初の子音がペアになっている子音群 [consonant cluster] があらわれている ( n が nd とペアを組んでいる) 。のこりの事例には、 death-left という例があり、これは f と韻をふむ ɵ と、それにくわえて、単独の子音がペアとなった子音群をふくむ。 ɵ-ft を単一素性の法則と man-hand の場合で例証された法則の混合の結果として見なすと理にかなう。混合の例の数を倍増させることは、先述のものとは別の大衆的韻文の資料から素材をとれば、たやすい。ローマックス&ローマックスの文献中のアメリカのフォーク・ソングとサックハイムの文献中のブルーズの歌詞を参照せよ [Lomax and Lomax 1975; Sackheim 1969] 。

私が所有するロックの歌詞のデータは、以上で例証した事柄がきわめて典型的であること──母音韻と子音韻とを分類する従来の類型論は、大衆的な韻文を分析するにあたっては、とりたてて有用ではないということ──をほのめかしている。大衆的な韻文は、従来の類型論の法則とおきかえうる以下のふたつの主要法則にしたがうものとしてあつかうことができるだろう。

a. 素性脚韻 [feature rhyme] : 音韻論上の素性を最小単位にして区分される分節であり、かつ押韻しているとして見なされるもの。この分節は母音であるかもしれないし (たとえば end-wind の場合) 、子音かもしれない (たとえば stop-rock の場合) 。そのときの素性は音節主音でさえありうる (たとえば mine-tryin' の場合) 。

b. 後続脚韻 [subsequence rhyme] : X は XC と韻をふむものとして見なされ、そのとき、 C が子音であるような脚韻 ( X は、 pass-fast という場合のように、子音で終わるものかもしれないし、あるいは、 go-load という場合のように、母音で終わるものかもしれない) 。この法則上で比較的まれに生じる変異があって、これを内的後続脚韻とよび、X は CX と韻をふむものとして見なされる (たとえば proud-groundplays-waves の場合) 。

以上に述べたふたつの脚韻の法則は混合することがありうるし、その例としては、queen-king (ふたつの素性脚韻、 i-I と n-ŋ がある) 、high-lives (ふたつの後続脚韻、 X-Xv と X-Xz がある) 、dark-hearts (ひとつの素性脚韻、 k-t とひとつの後続脚韻、 X-Xs がある) 、 age-plains (ひとつの素性脚韻、j꙼-z があり、ひとつの内的後続脚韻、 X-nX がある) 、そして friend-rims さえもあげられる (三つの素性脚韻、 ɛ-I 、 n-m 、 d-z がある) 。

音韻論から見て適度におたがいはなれあっている単語のペアが可能となるような素性脚韻の法則と後続脚韻の法則の適用範囲をひろげる表現方法は混合だけではない。不完全脚韻は連鎖のかたちをとって連結されたものでもありうる。 X が Y と (不完全に) 韻をふみ、かつ Y が Z と韻をふむと、その結果、 Y の仲介のおかげで X と Z は韻をふむものとして見なされてもよい、 X と Z が素性脚韻にせよ後続脚韻にせよどちらの法則もみたしていない場合でさえもである。たとえば、 "Mr. Tambourine Man" でディランは、fatewaves (t-vz) と、両者と後続脚韻をつくる today に連結することによって、韻をふませている。


With all money and fate
driven deep beneath the waves
Let me forget about today
until tommorow.


また "Blackbird" ではレノン&マッカートニーは nightlifearise を、 fly に連結し、そのうえ後続脚韻をつかうことによって、やっとのことで韻をふませている。


Blackbird singing in the dead of night
Take these broken wings and learn to fly
All your life
You were only waiting for this moment to arise.


二、三の例では、韻をふむ単語は連結によってとも混合によってともひとしく韻をふむものとして見ることができる。たとえば、 "Oxford Town" でディランは sonbomb (ʌn-am) とを、 ʌm という音をもつ comefrom というふたつの単語を仲介することで、対応させている。


Me and my gal, my gal, son,
We got met with a tear gas bomb,
I don't even know why we come,
Goin' back where we come from


またディランが、 hatredmake it に (trId-kIt) 対応させるにあたって、hatred-sacred (t-k) 、sacred-naked (Xr-X) 、 naked-make it (d-t) という注目すべき、ひとつらなりになった連結をおこなう手法をとる場合がある。このような脚韻の解決法が "It's Alright Ma (I'm Only Bleeding)" の第二詩節を構成する四つの小節において、順をおって、あらわれている。

連結という巧妙な表現技法はきわめて一般的というわけではない。私のデータ上では連結は十四例だけに出現しており、なお、これらの半数では、連結された単語はすでに素性脚韻あるいは後続脚韻にしたがって対応づけられているし、その結果、連結を仲介する単語は関係を確立するというより補強することになっている。たとえば、 "Teacher I Need You" でバーニー・トーピンが leandream と (n-m) 、 me に連結させて、韻をふませる場合、あるいは "Nowhere Man" でレノン&マッカートニーが landplans と (d-z) 、 man に連結することで、韻をふませている場合がある。

連結とは対照的に、混合は当然にして頻繁にあらわれる。 七十二の例の出現が私のデータ上でみとめられる。

脚韻を組織化する法則として素性脚韻と後続脚韻をもち、混合と連結という表現技術をふくむまでに拡張された脚韻の範型を名づけるのにふさわしい術語は何もないように思われる。術語の体系にいちじるしい混乱をもたらすことを覚悟してでも (脚注 1 を見よ) 、 (そうした術語とは別の、未使用であるような) そのための名称を提案するとなれば、 ロック脚韻 [rock rhyme] となる。


たったいま定義したようなロック脚韻と母音韻とのあいだにある差異は、実際のところ、何も明確にならないかもしれない。何しろ、ロック脚韻の法則は、とりわけ混合と連結とをふくむゆえに、大幅に自由な脚韻をみとめるものである。しかしながら、英語圏のロック脚韻は近代の英語圏の詩人によってつかわれているような母音韻とはすくなくともふたつの点でずれている、韻をふんでいるものとして見なされる分節音という点で、そして多様な種類の不完全脚韻が頻出する点で。この差異は母音韻を基礎にした詩を何であれ綿密に見ることによって例証されうる──たとえば、ディラン・トマスの "Fern Hill" を見てみよう。これは五十四行の詩であり、それぞれ九行ずつある六つの詩節から構成されていて、とてもはっきりとした母音韻のパターンをもっている (abcddabcd という脚韻のパターンが各詩節にあって、二度目にあらわれる ab は最後の詩節で反転する) 。この五十四の詩行には、素性脚韻と後続脚韻の法則にしたがってみとめられるであろう脚韻よりも、混合された脚韻よりさえも、対応する単語の類似性が希薄な脚韻の例が八つ存在する。 green-leavesclimb-eyes-lightbarns-calveshome-coldgrass-darkall-warmover-goldensleep-fields 。さらに言うと、この八つの類似性が希薄な脚韻が五十四の詩行に出現する割合は数千のロックの歌詞から私が見つけだした三、四ダースの特殊な脚韻の例の割合と比較できるはずである。類似性が希薄な脚韻はロックの歌詞においてよりもトマスの歌詞においてはるかに一般的である。くわえて、ロックの歌詞では希少なある種の脚韻の型はトマスの詩では頻繁にあらわれる。 "Fern Hill" の五十四行中に内的後続脚韻の例が五つあり、調査したロックの歌詞では二十二例のみである。語尾音省略脚韻がロックの歌詞では一ダースにもみたないことと比較すると、トマスのこの詩単独でも二、三例もある、と言える。ロック脚韻の法則にしたがってトマスの詩を分析するのは不毛であることはあきらかであるよう思われる。トマスは、たんに、母音が一致すれば、その母音につづくものには何であれおかまいなしに韻をふませている。ロックの歌詞の範型がおおう範囲はトマスの詩の範型より絞られているのだ。


脚注

1. こうした事柄に関しては術語は絶望的なまでに混乱している。完全脚韻 [perfect rhyme] は full rhymepure rhymestrict rhymetrue rhyme 、あるいは、たんに、 rhyme ともよばれているし、その一方で、不完全脚韻 [imperfect rhyme] は near rhyme、あるいは slant rhymeoblique rhymepopular rhymeoff rhymeapproximate rhymehalf rhyme ともよばれている。このような術語から任意のものを特定の型の不完全脚韻を指すためにつかっている書き手が数名いる。スラール、ヒバート&ホルマンの文献では half rhymeslant rhyme子音韻 [consonance] の同義語であるし [Thrall, Hibbard, and Holman 1960:106] (ドイッチュの文献では half rhymeslant rhyme 、くわえて五つの他の術語が子音韻の同義語とされている [Deutsh 1962:124]) 、その一方で、ウンターマイヤーの文献では語尾音省略脚韻 [apocopated rhyme] の同義語として half rhyme があげられていたり、母音韻 [assonance] の同義語として popular rhyme あるいは 不完全脚韻 [imperfect rhyme] という名称がつかわれている [Untermeyer 1969: 263] 。

2. ビートルズ (合作も個人作もふくむ) とボブ・ディラン、シカゴが録音した曲の出版物のコレクション、さまざまな作者によって書かれた三十二のヒット・ソングの歌詞がおさめられた雑誌 Hit Parader 1976年5月号、エルトン・ジョンとブルース・スプリングスティーン、ジェイムズ・テイラー、ローラ・ニーロ、トラフィック、ムーディー・ブルーズ、ザ・フー、イエス、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ヘレン・レディ、サイモン&ガーファンクル、U.S.A. のレコードに付属する印刷された歌詞が私の資料である。

3. ベクソンとガンツの文献で引用されている "Twinkle, Twinkle, Little Star" を、母音韻がぎっしり詰まった歌詞であるものの、調査の対象からはずした [Beckson and Ganz 1975:119] 。と言うのも、母音韻を示すとされるペアの単語が韻をふんでいるものと見なしても妥当な位置におたがいないからだ。



文献表
Beckson, Karl and Arthur Ganz. 1975. Literary terms: a dictionary. Farrar, Straus and Giroux, New York.
Deutsh, Babette. 1962. Poetry handbook. 2nd ed. Funk and Wagnalls, New York.
Lomax, John A. and Alan Lomax. 1975. Folk song U.S.A. New American Library, New York. Revision of 1947 edition.
Maher, J. Peter. 1969. English speakers'awareness of the distinctive features. Language Science 5.14.
Sackheim, Eric. 1969. The blues line: a collection of blues lyrics. Schirmer Books, New York.
Thrall, William F. and Addison Hibbard, rev. and enlarged by C. Hugh Holman. 1960. A handbook of literature. Odyssey Press, New York.
Untermeyer, Louise. 1969. The pursuit of poetry. Simon and Schuster, New York.


* この論文の pdf ファイルは著者のサイトで公開されている。
http://web.stanford.edu/~zwicky/this-rock-and-roll.pdf